高 校 時 代
昭和37年4月から昭和40年3月までの3年間
僕は武蔵溝ノ口から宿河原まで電車通学をした
当時宿河原は何もない田舎の駅だった
駅から梨畑を縫って学校に通った
服装は詰襟に学帽それに夏は半そでのワイシャツ冬は紺のコート
男女共学であったが女性にはまるで関心がなかった
それ故恋も恋愛もなかった
なんとなく無為に3年間を過ごした
学校生活で唯一の楽しみは
ビリーヴォーンの「波路遥かに」が流れる
昼休み弁当の時間だった
ほかの人の弁当の中身は分からないが
僕はのり弁が好きだった
ご飯とご飯の間にのりを引きつめご飯の上にものりをのせた弁当
シラスをまぶし梅干しが真ん中に入っている
たまにゆで卵の半分とそぼろが入っている
ご飯は冷たいがのりと醤油の調和がとても良く思い出の弁当だ
春先など昼休みに道路を渡って多摩川に行き
土手で土筆を見つけては.嬉しくなり
タンポポが咲くシロツメクサの上に寝転んで
川のせせらぎヒバリの囀りを聞く
流れる雲を追って束の間の時を楽しんだ
思い出は同時代に流行(はやった)高校3年生
毎年1月に行われた全校生徒参加の強歩大会
多摩川の土手沿いを川崎大師まで歩いた
なかにはマラソンで走り通した猛者もいた
歳月が流れての後日談
自分のことは棚に上げて
花の7期生と言われたことは嬉しく誇りに思えた
山 一歩