第21回

  

 昭和37年4月から昭和40年3月までの3年間

僕は武蔵溝ノ口から宿河原まで電車通学をした

当時宿河原は何もない田舎の駅だった

駅から梨畑を縫って学校に通った

服装は詰襟に学帽それに夏は半そでのワイシャツ冬は紺のコート

男女共学であったが女性にはまるで関心がなかった

それ故恋も恋愛もなかった

なんとなく無為に3年間を過ごした

学校生活で唯一の楽しみは

ビリーヴォーンの「波路遥かに」が流れる

昼休み弁当の時間だった

ほかの人の弁当の中身は分からないが

僕はのり弁が好きだった

ご飯とご飯の間にのりを引きつめご飯の上にものりをのせた弁当

シラスをまぶし梅干しが真ん中に入っている

たまにゆで卵の半分とそぼろが入っている

ご飯は冷たいがのりと醤油の調和がとても良く思い出の弁当だ

春先など昼休みに道路を渡って多摩川に行き

土手で土筆を見つけては.嬉しくなり

タンポポが咲くシロツメクサの上に寝転んで

川のせせらぎヒバリの囀りを聞く

流れる雲を追って束の間の時を楽しんだ

思い出は同時代に流行(はやった)高校3年生

毎年1月に行われた全校生徒参加の強歩大会

多摩川の土手沿いを川崎大師まで歩いた

なかにはマラソンで走り通した猛者もいた

歳月が流れての後日談

自分のことは棚に上げて

花の7期生と言われたことは嬉しく誇りに思えた

 

山 一歩